2012年07月01日
廃屋
先週は、福山市大門大津野の方へトラクト伝道をさせていただきました。
教会のスクーピー修理中のため、
三男の(赤好き)ヤマハビーノ(4サイクル)を
借りていきました。調子が良いビーノは力があり良く走ります。
小高い所にある昔からの家々の中には、廃屋もあります。
福山の田舎にも良くあります。
ほとんど人と話さずポストにトラクトを挟むだけですが、
人と出会い話をすることもあります。
福音を伝えることが第一ですが、
その中で人といろいろな話になります。
神辺のことでした、あるおばあさんが、
隣にある廃屋のことを話されました。
自分の親戚で、元福山市長をされた方の家とのことでした。
娘さんたちが嫁に行き、誰もいなくなったということですが、
井伏鱒二さんの丹下氏との関係もあった家だということです。
廃屋と行っても普通はどのような過去があったか分からないですが、
過去を知るとますます人のはかなさを感じます。
詩篇 103:15
人の日は、草のよう。
野の花のように咲く。
詩篇 103:16
風がそこを過ぎると、それは、もはやない。
その場所すら、それを、知らない。
詩篇 103:17
しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、
主を恐れる者の上にある。
イエス様を信じる者の希望は、とこしえです。
Posted by キリスト者となったケンジ at 16:53│Comments(0)
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